僕は常日頃からアイデアと移動距離は比例すると言っている。
December 8, 2009
December 6, 2009
多くの韓国仏像が金ピカに作り直されているのを見て、なぜ日本では仏像が荒んでいってもお色直しをしないのかを考える。
いとうの仮説は、日本には仏像が外からやってきたものだという観念があるのではないか、韓国には「外部性」の観念がないのではないかというものである。これはけっこう当たっている。日本人にはもともと仏像は蕃神であり、外来神だった。つまり客なるイコンというものなのだ。それが朝鮮半島ではどんどん身近なものに接近していった。
いとうの仮説は、日本には仏像が外からやってきたものだという観念があるのではないか、韓国には「外部性」の観念がないのではないかというものである。これはけっこう当たっている。日本人にはもともと仏像は蕃神であり、外来神だった。つまり客なるイコンというものなのだ。それが朝鮮半島ではどんどん身近なものに接近していった。
December 2, 2009
November 30, 2009
もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 今度はもっと間違いをおかそう。 もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。 絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。 この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。 もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。 もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。 もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。 もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。 もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。 もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。 もう一度人生をやり直せるなら・・・・ だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。 私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか? 自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・ もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。 人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。 - P.F.ドラッカー 享年95歳-
漫画が実物に似ていないにかかわらず真の表現であるという事は、科学上の真というものに対する多数の人々の誤解をとくために適切な例であるように見える。漫画が実物と似ない点において正に実物自身よりも実物に似るというパラドクシカルな言明はそのままに科学上の知識に適用する事が出来る。
November 25, 2009
ギブソンの思想もこの延長にある。しかし、ギブソンはベイトソンのいう「精神」を「環境と知覚の連動性」にまで拡張して、そこに「変化するもの」と「不変なもの」とがあること、そこにアフォーダンスが測定できるいくつもの傾向があることを突きとめ、ベイトソンの先駆的な予見を科学理論にまで引っ張っていったのである。
November 24, 2009
教養の基礎とは「人の知性を快活にさせること」だ。
(プログラミングやWebデザインの)学校に行ったり本読んだりとかは全くしていない。その時々で凄くいいものを作る人がいて、その真似をしていた。変化の激しい世界で1つの体系を完全に習得するのは意味がない。その時々で瞬時に反応しながらやっていく反射神経が大切。
キンドルが実現した姿は、正確には「コンテンツ+プラットフォーム+端末」という垂直統合モデルである。プラットフォームと端末を融合させたうえで、そこに乗っかるコンテンツはいいものであって当たり前なのである。よくないコンテンツは相手にもされないだけである。
こうした事実から、政策とビジネスの双方の関係者が、(1)コンテンツはよくて当たり前、(2)これからは、ネット以外も含むコンテンツの出口戦略が重要、(3)そこでは、キンドルのような垂直統合モデルが強みを発揮する――という教訓を学ぶべきではないだろうか。
こうした事実から、政策とビジネスの双方の関係者が、(1)コンテンツはよくて当たり前、(2)これからは、ネット以外も含むコンテンツの出口戦略が重要、(3)そこでは、キンドルのような垂直統合モデルが強みを発揮する――という教訓を学ぶべきではないだろうか。
交通事故にあったロボットっていうのがすごく重要なメッセージで、A-Lifeも交通事故にあわせなければいけないと思う。ブルックスも交通事故に合わせるような環境には連れて行ってはいない。全部を書ききれないような環境に連れていった時に、A-Lifeがどういう振る舞いをするかを見るのが大事です。僕がアートとかをやっているのも、そういう開かれた環境の中に連れて行くということを考えているからです。
つまり、ここでの問題は「生命がわかる、あるいはつくれる」とはどういうことなのかが「わかってない」。「できた!」と思うことと、「それは油に過ぎない」という、この差は何なのか。
別な言葉でいうと、理性(reason)なき振る舞いと言われるように、内部表象がなくてもちゃんと環境に適応して振る舞う。だからそんなに一生懸命ロボットをデザインして作ろうとしても意味はないよ、というのがブルックスの主張で、それはまた人工生命の主張ともつながって、自律的ロボットは人工生命研究の一大トピックスになったわけです。
本書の中で最も重要なのは、なんといっても「一円の壁」だろう。 “”P. 141 それでも3万円を稼いでいる方は自信をもってください。実は、一番大きな壁が「一円の壁」だからです。アンケートでも、フォーラム会員のうち58%、半分以上の方がまだ1円も稼いでいないと答えています。”“そう。0と1の違いは、1と3万より大きいのだ。
November 21, 2009
まだ見ていないことをすでに見てしまう知性の力について、こんな話を思い出した。 作家北杜夫は若い頃にトーマス・マンに心酔していた時期があった。朝夕トーマス・マンのことばかり考えて暮らしていたある日、彼は所用で降り立った田舎の駅前で、突然「ぎくり」として立ち止まった。 どうして「ぎくり」としたのか、その理由がわからない。だが、何かを見て衝撃を受けたことだけはたしかである。そこで、ゆっくりと駅前の寂しい風景をもう一度眺めわたしてみた。そして、酒屋らしき店に「トマトソース」という看板の文字を見て、「ぎくり」の理由を知ったのである。 これは人間の「アナグラム」解読能力がどれほどのものかを示している。「アナグラム」というのは、語を構成している文字を前後入れ替えて作り出される別の語のことである。 「トーマス・マン」というアナグラムを組み立てたのは北杜夫自身である。そして、彼は自分で組み立てた(存在しない)文字列を読んで「ぎくり」としたのである。 彼が看板に読んだ「トマトソース」には「ト」、「ー」、「マ」、「ス」、「マ」、「ソ」の文字が含まれている。彼は一つしかない「マ」を二回読み、二つある「ト」のうちの一つを読み落とし、さらに「ン」と「ソ」を読み違えるという複雑な手順を踏んで、「トマトソース」から「トーマス・マン」を読み出したのである。
決定的なのは、作品がいいことですね。いくら作品がいっぱいあってもそれだけではダメ。人を震わすような作品を見せていかなくてはならない。その中で公募は非常に重要だと思っています。打率はそんなに高いわけじゃないけど、だいぶクオリティがあがってきました。公募の審査は、全部自分一人で見ます。作品数は1000くらいですかね、3ヵ月かけてじっくり見ます。