March 9, 2011
『方丈記』や『平家物語』では、存在するもの、盛んなるもの、すなわち「有」が発想の中心にあった。それが『徒然草』では、存在するもの、有るもの、形あるもの、不動のものは、かえって「仮」である。兼好にとっては「変化の理を知らぬ人」は「愚なる人」なのである。
 これを唐木は「無有観」と見た。それは道元を先取りするものでもあった。